SHAKKYOU

    



   出演者       ワキ・・・・・寂昭法師
             前シテ・・・・童子
             アイ・・・・・仙人
             後シテ・・・・獅子

   舞台となった場所  中国の清涼山(中国山西省)

  ある初夏の事、寂昭(ジャクショウ)法師と名乗っていた大江定基は、

 中国・インドにある仏教遺跡の巡礼をしていました。その途中で中国の清涼山に

 たどり着き、眼もくらむような深くけわしい谷に自然と出来た石橋が掛かっているのを

 見つけました。寂昭法師がその橋を渡ろうとした時、一人の童子が現れて

 この石橋は千丈余りの深い谷に掛かっており、幅は一尺にも満たない程狭い上に

 三丈にも及ぶ長さがあります。人間が掛けた橋ではなく自然と出来た物なので

 とてもじゃないが人が渡れるような物ではありません。と止めるように言うのでした。

 そして童子は、この谷の向こうには文殊菩薩(モンジュボサツ)の浄土なので、橋を渡らずに

 ここに居れば、不思議な物を見る事が出来るでしょう。と告げると姿を消してしまいました。

  そう言われた寂昭法師は、しばらく待つ事にしました。

  やがて、橋の向こうから文殊菩薩の使いである獅子が現われ、牡丹の元で

 たわむれ、舞い続けるのでありました。

  獅子は百獣の王、牡丹は百花の王と言われていますが、この曲目にはそんな2つもの王が

 登場すると言う豪華さがあります。

  前場には派手な動きはなく、シットリと落ち着きがありますが対照的に後場では

 ガラッと変わった派手な獅子の舞が主になります。その華やかさは驚く程ですが

 獅子が登場する前の細かい見所がいくつかあります。1つは、霧の中からぼんやり見える

 橋の向こうに立っている獅子を表現する為に「半幕」と言って幕を腰の位置辺りまでしか

 上げないと言う表現方法を用いている所です。もう1つは、お囃子の落ちる露を表現する

 「テン・テン」と言った具合の雫を表現した音です。そんな怪しげな静けさの中で

 急に、テンポが速くなり獅子が現われるのではないか。と言う緊張感に変わります。

  舞台には「一畳台」と言う畳1枚分の台がいくつか出されており、獅子が乗ったり降りたり

 しながら牡丹と戯れる姿はいつまででも見ていたくなる程の華麗な舞その物なのです。

  最近では一人で演じる事が少ないのですが、数人で獅子を演じる場合は演者の

 年齢や、流儀によって「親子」の獅子であったり「兄弟」の獅子であったりします。

 その時、白頭の獅子は年配で落ち着いた動きで、赤頭の獅子は若いので機敏な動きをします。

  迫力のある姿や動きは、歌舞伎の世界では「鏡獅子」として取り入れられているのです。




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